Team History


昭和50年代(1970年代)

 まだまだ、正式なチームとしての活動はありませんでしたが、ヘルスセンターの閉鎖と共に仲間は葛飾区高砂のイトーヨーカドーの上にあったスケート場に移動し「千葉ジュニアペンギンズアイスホッケークラブ」が発足しました。まだ、子供達も少なく対外的な活動はできませんでしたがアイスホッケー大好き少年は確実に増えました。監督は明治大学OB、コーチはリンク設営会社の方で国体出場11回のすばらしい方々が引き受けてくださいました。しかしながら、アイススケートに対する理解度は低くこのスケート場も閉鎖になり50年後半に松戸のスターランドに移りました。

昭和60年代(1980年代)
 新松戸スターランドへ移ったことが功を奏したのか子供達も急激に増えペンギンズ全盛期を迎えました。週3回、午後7:30からの練習をこなしました。北海道チームと対等に戦い全国大会5位になり、様々な大会にも優勝できるチームになりました。 
その頃の子供達は今はもう大人になりましたが後輩達は今でもトップレベルの大学、高校で活躍しています。そんな後輩達をホッケー雑誌等で見るのが今でも楽しみです。

平成元年(1990年代)
スターランドが閉鎖となり新松戸ダイエーリンクに移ることになりました。近隣にスケート場が無く練習時間の確保に苦労していました。幼稚園児から中学生まで一緒に練習しますが、早い時間で午後8:30、遅いと午後10:30からという時もあります。子供の運動クラブとは思えない時間 に練習をしています。そのような状態ですから子供達の集まりは悪く、せっかくやりたいと言う子供が見学に来ても「こんな時間では・・・」と保護者の方に断 られてしまいます。

平成12年代(2000年代) 
 一時はリンクの閉鎖などでアイスホッケー環境は悪くなり、全盛期の半分の人数まで減りました。しかし、監督、コーチは25年間もの間ボランティアで熱心に指導してくれています。
 2005年10月に稲毛海岸に通年オープンの“アクアリンクちば”ができ、小学生を中心に少しずつ会員が増えてきました。今では全盛期同様に約50人の”ちびっ子ホッケー選手”が明るく、楽しく練習に励んでいます。
 今後も、周辺地域の小学校、中学校、高等学校での関心も高まれば千葉県のアイスホッケー人口も増えるでしょう。